第四話 ウロボロス

4. そして、わしは


 後で思い返せば、それからの毎日が私にとって最も幸福な時だった。

 「貴方……いらっしゃい……」

 ベッドの上に寝そべり、妖しく光るまなざしで私を誘うセネカ。

 私の心はセネカでいっぱいになり、ためらうことなくその美しい鱗に覆われた女体に体を差し出す。

 あ……あぁぁぁぁ……

 セネカが私に巻きつき、その鱗で全身を愛撫される瞬間……言葉にならない恍惚感で全身震える。

 うねる鱗が肌に食い込み、鋭い刺激で私を一瞬にして性の高みに押し上げるのだ。

 だが、セネカは行くことを許さない。 私の要所要所を締め上げ、行き場のない快感に震える私を、限界以上に高め

るようとするのだ。

 あ……あ……

 私は蛇に呑まれようとする哀れな、そして張り詰めた男根の化身と化し、セネカが許してくれるまで、苦痛にも似た

快楽の中でもだえ続けるしかなかった。

 そして、ようやくお許しが出れば、体の中身を出し尽くす勢いで、セネカに精のありったけを捧げるのだ。

 グブッ……グブッ……ググググブッ……ニュルルリ……

 はぁはぁ……あ……あはっ…… 

 その後は、お決まりの『黒い快楽』が私を支配する……私が私でなくなって行く、不思議な感触……


 う……ううっ……

 やがて私は目覚める、奇怪な黒いオブジェの前で。

 この黒いオブジェが何なのか、私にはわからない。 何かの機械かかもしれないし、彫刻なのかもしれない。

 私がセネカと暮らし始めてから、私はこの前で目覚めるのが日課となっていた。

 (また……形が変わっている……)

 仰向けになって、両手を宙にかざしてみれば両の手は真っ黒だ。 『私』があの『黒い快楽』に浸っている間に、これ

を組み立てている……それに気がつくのに、たいした時間はかからなかった。

 「セネカの為に……働く……」 それは、これを組み立てる事なのだろう……だとすれば、これが組みあがったら……

どうなるのだ? 私とセネカは……

 漠然とした不安に私は目をつぶる。

 (考えたくない。 ずっとセネカといたい……その為なら……いくらでも働くから……)


 「貴方。 ほら、触ってみて」

 珍しく、蛇女に変わる前のセネカが私の手をとって、自分の下腹を触らせた。

 「セネカ? なんだか膨らんでいないか」

 私は不安になった。 この頃のセネカは、始めて会った頃に比べて、少し元気がなくなってきたような気がしていた

のだ。

 「そうよ、もうじき私は卵を生むの」

 「卵?」 私は母から教わった事を思い出していた。 女は、子供を小さい生き物の形か、卵の形で生むのだと言っ

ていた。 そして、それは……

 「じゃあ……その卵はセネカと私の子供なのか」

 「いいえ」 セネカは冷たく否定した。 「この卵は……貴方なのよ」

 「なんだって?」

 「貴方は、私の卵から生まれて来るのよ」

 「セネカ?」 私はセネカの言っていることが理解できなかった。 そして、冷たい笑みを浮かべるセネカの顔に、不

思議な懐かしさと、そして漠然とした不安を感じ始めていた。



 それからしばらくして、セネカは私の知らないところで卵を生んで、それを孵化させたらしかった。 そして、どこかで

セネカは子供を育てているようだった。

 しかしその間も、セネカと私の関係は特に変わらず、私はセネカに抱かれ、あの『黒いオブジェ』を作り続けていた。

 そんなある日の事だった、私は扉の向こうでセネカ以外の声がするのを聞いた。 

 「ま……る」

 あれは……きっと子供の声なのだろう。 ドアの向こうには子供がいるのだ、セネカの子供が。

 「……くっ!」

 私は落ち着かなくなり、手に持っていた何かを床にたたき付けた。


 ある日、私は食事をしながらセネカに話をしてみた。

 「セネカ……私もその……子育てに参加したほうが良くはないか?」

 「貴方は小さい頃、母親以外に育てられた記憶があるの?」

 「いや……ないが」

 「じゃあ、必要ないわ」

 セネカの物言いに私はひどく不安になった。 なぜか『母』という単語に。


 ウワーン!!

 子供の泣き声が響いた。

 私は思わず扉を開け、外の様子を伺う。

 「……」

 子供が泣いていた、左の手を押さえて。

 (ああ、あれは男の子なんだ……)

 セネカがやってきて、やさしく男の子の手当てをする。

 (水ぶくれ……やけどか……左手の……火傷!?)

 私は自分の左手を見る。 子供の頃の火傷の跡。 そしてあの子供の左手の火傷は!

 子供がこっちを見て、そしておびえた顔になる。

 私は力いっぱい扉を閉めた。

 「そんな……そんな……そんな……ばかな!!」

 私は気が狂ったらしい。 ありえない考えに取り付かれ、そこから抜け出せない。

 「あれは……あの子供は……私だ!」

 口でそう言って、心で否定しようとする。 だが……あえて目をそむけてきた、認めようとしなかった事実が、ついに

私の中で形になった。 セネカが母にそっくりだという事に。

 「セネカは……セネカは……母だったんだ……」

 ドアにもたれて、ゆっくりと床に腰を下ろしながら、私はひどく老け込んで行く自分を感じていた。

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わし

 それからのわしは、惨めな存在になった……なにしろ、自分が母と……セネカと関係を持つのを知っていたんだか

らな。

 もちろん、セネカはわしとも交わり続けた。 あの『黒いオブジェ』を……『黒い卵』を完成させなければならないのだ

からな。

 わしは、自分に嫉妬した。 『若い頃のわし』が、セネカとどんな風に交わったか……全部知っているのだからな。


 だがある日、わしはある希望希望がある事に気がついた。

 母は……セネカはやがて、『若い頃のわし』を過去のセネカの元に送る、その日はきっと来る。

 「そうすれば……また二人だけの生活に戻れる……」

 わしはひたすらセネカのために、『黒い卵』を完成させるために、セネカと交わり続けた。

 命を削られるような思いをして、『黒い快楽』に身を任せ続けた。

 そして、ついにその日が来た。

 「できたぞ……」

 わしは、セネカに言った。 『若い頃のわし』が何か言ったようだが、気にならなかった。

 セネカは『若い頃のわし』を、『黒い卵』に乗せるとわしに近づいてきた。

 ああそうだった。 ここでセネカはわしに何か言うんだったな。

 セネカは囁いた。

 「さようなら」

 ……

 …………

 ………………

 なんだって?

 わしが自分を取り戻したとき、『黒い卵』は光に包まれ、そして消えて行くところだった。

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 老人は口をつぐみ、じっとろうそくの炎を見つめた。

 「わしは待った……しかしセネカは帰ってこなかった。 わしは一人取り残され、考え続け……そして恐ろしいことに

気がついてしまった……」

 「セネカの正体にか……」 滝は呟いた。 しかし、老人は激しく首を横に振る。

 「セネカの正体!? そんなもの判っている! 彼女は蛇女だ! 彼女は時を駆け巡り、わしにその乗り物を作らせ

た! それだけだ……だがそんなことじゃない……わしは……」

 力を失ったように項垂れる老人。 そして、かれはずいと身を乗り出してきた。

 「なあ、あんた教えてくれ。 わしは何者なんだ!?」

 「お、落ち着け」 滝は、老人の異様な迫力に思わずあとずさる。

 「セネカが言ったことが本当なら、わしは、わし自身の精から生みだれた事になる! じゃあわしは?わしはいった

い何なんだ! わしは誰なんだ!」

 狂ったようにわめく老人、その姿が徐々に薄れていく。


 「わしは……わし……」

 老人と共に、ろうそくも消えて行く……そして、ろうそくが消えるのと同時に老人の姿は、滝達の前から消えてしまう。

 最初からそこにいなかったかのように。

 「……」

 耳の痛くなるような静けさの中、滝の耳には老人の叫びがこだまし続けていた。

 ”教えてくれ!わしは誰だったんだぁ!”

<第四話 ウロボロス 終>

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